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あのトモ

- 本に出てくるあの娘ぼくがトモダチになろうっていったらどんな顔するんだろう -

ティンブクトゥ - イヌの皮を被った哲学者

ポール・オースター「ティンブクトゥ」からミスター・ボーンズ

 ヒトは微妙な差異の上に、多少は近いところがあったってひとりも同じでは無いんだけど、イヌやネコだってこの例には漏れない。ペットのいる暮らしをしてみたくて保護犬・猫の情報の掲載されているウェブサイトを見はじめてから、そんなことを思うようになった。ウェブサイトでは飼い主を募集しているイヌやネコ(亀や鳥なんかもいる)の写真がずらっと、キャッチフレーズと共に並べられている。ヒトはこの小さなサムネイル画像とひとことのキャッチフレーズの組み合わせの印象で相棒になってほしいか、なれそうか判断をしていく。その中でときどきハッとする表情のこがいる。私の場合は目の印象がどこか人間くさいこが結構ツボだったりする。

ミスター・ボーンズはなかでもとりわけ人間くさいイヌだ。ペットをさらに検討する前にここで一匹のイヌに思いを馳せてみようとおもう。

ポール・オースターの書く小説は派手な描写は無いけれど、するすると読めてしまうものが多い。この小説もそうだった。わたしはこの小説はイヌ版 "我輩はである" だと思っているフシがある。

 イメージをふくらます - もっともっと絶対みすぼらしい -

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特徴

- ノースショア・アニマル・シェルター出身

- 一部コリー、一部ラブラドル、一部スパニエル、残りは... イヌ の大人

- 毛はボロボロ、いぼもある、口から嫌な臭い、目は充血(うわあ)

- 豊かな精神の持ち主でヒトの言葉「イングルーシュ」を理解する(ただしイヌのアゴの構造上話すことはできないことは認めている)

- 自分のイヌ的性質と周りのヒト的性質について冷静な観察眼を持っている

- 仔犬の時は "へなへなの足で自分の尻尾を追いかけ、自分のウンコを齧る阿呆" だったが、成犬となり分別がついてからはそれこそ "台所の流しの食器棚に住むゴキブリ全員とファーストネームで呼び合う仲"になっちゃうくらい環境に順応できる性格(ここのエピソードまじすき)

飼い主

1. 放浪癖のあるアマチュア詩人の青年

2. 愛らしい顔をした、心優しくも孤独な中国系の少年

3. 老女のような洞察眼をもつ少女がいる、上辺の体裁が整った裕福な4人家族

考察 - 理屈屋で人間みたいだけどイヌ -

犬生を大きく左右する要因の一つが、飼い主がいるかいないか、いる場合それはどんなタイプなのかという事柄だ。ミスター・ボーンズの場合わけあって3度、異なる飼い主を体験することになる。その中でも特にかれをかれたらしめる基盤を築きあげたのは一人目の青年だ。

青年は"へなへなの阿呆" だった仔犬にミスター・ボーンズという名を授け、詩や言葉を教え、信頼に値するヒトが世界にいることを証明してみせた。イヌは飼い主を変えるごとに異なる名前で呼ばれることになるが、かれのイヌとしてのアイデンティティは "ミスター・ボーンズ" から変わることはなかった。ところでこの青年、かなり繊細でメンヘラ気質な変わり者だった。 "匂いのシンフォニー" と称し、あらゆるニオイ発生源を部屋に集めてきては、ミスター・ボーンズと共にイヌの豊かな嗅覚の世界における究極の匂い体験を追求(奇行)したり、サンタクロースに扮して人助け(奇行)を行う伝説を残している。そしてこの青年、死にかけていた

 イヌが死にかけの飼い主を見つめるまなざしは切なかった。死にかけの飼い主は "ティンブクトゥ" という場所の話を語る。そこは砂漠の真ん中にあるという土地で、旅立った魂がたどり着く場所だという。ミスター・ボーンズはそれを信じる。(ティンブクトゥっていうエキゾチックな響きがまたイイ)

少し切ないファンタジックな体験を経て(そこはぜひ本文で確認を)ミスター・ボーンズは死にゆく青年を背に、未知の世界へ歩き出す。旅の中で新しい人間たちとの出会いは続くものの、ミスター・ボーンズは夢の中でつねに青年と共にいる

旅の果てに3人目の飼い主と出会い、ミスター・ボーンズ(新しい飼い主にダッサい名前で呼ばれてこころが傷つく)は恵まれた環境に居候する権利を得る。栄養価の高い食事、安全で清潔な寝床 ー ただし長い時間首輪に繋がれて、ひとりで居なければならないいう条件付きだが。かれは自らを "囚人" と例え、小さく嘆く。でもミスター・ボーンズ、結局生まれ持った環境順応能力の高さを見せてすぐに慣れちゃうんだけどね。

転機はそんな金持ち家族がイヌひとりホテルへ預けて家族旅行へ行ってしまったときに訪れる。突然ミスター・ボーンズは青年のこと、 "ティンブクトゥ" のことを思い出す。青年は "自由な魂" の象徴であり、イヌにとってそれは大事にしたい価値観だった。さすがふつうのイヌじゃないミスター・ボーンズ。最後のさいご、かれは命をかけて自らの犬生を "自由" なものとする行動をとる。...

まちへ出て多くのひとと出会って、生きていくための選択肢が増える。そのあと増えた選択肢を面白くながめているままって訳にはいかず、その中から選択をする時がくる。そこで判断をする基準は日常生活というふるいにかけられて残った砂金みたいな、いつも心に残ってることばや経験なんだろう。

人間みたいに理屈をこねる人間くさいイヌ、相棒として最高じゃないか。でもわたしには十分にかまってあげる自信がまだ、ない。ミスター・ボーンズに言わせると "求められていると感じるだけでは犬の幸福は成り立たない。自分は欠かせないという気持ちが必要" ということらしいし、ウサギどころじゃなくイヌこそ構ってあげないと、死んじゃいそうだし。