あのトモ

- 本に出てくるあの娘ぼくがトモダチになろうっていったらどんな顔するんだろう -

アルジャーノンに花束を - 絵画を完成させるような人生

ダニエル・キイスアルジャーノンに花束を」②

... つづき

さあ、有名なあらすじ

このお話は、普通のひとの半分くらいのIQしか与えられず生まれついた男が、特別な手術によって普通の人の倍くらいのIQを持つようになり、いろいろなことに気づいたり、考え込んだりする物語。

このお話のすごいところは、作者本人が「わたしがどうやってこの作品を創ったか、おわかりになったら、このわたしにぜひ教えてください。」と言っているくらい、極端なIQを持つ男の心理描写が精密に描かれていること。知能が低いものが高いものへと変わっていく時に気づきを得ていく様子などは読んで体験すると、妙な既視感が誰でも味わえるのではと思う。

わたしの場合は、勉強をしていくうちに、それまでなんとなく覚えていた歴史上の出来事が別の出来事と繋がっているとはっと気づいたときの喜び、なんとなく似ていると思っていた英単語同士の語源が、より古い共通の言葉をもとにしていると知ったときの喜び。そんなものを思い出した。

一枚の絵を完成させるみたい とおもった

ただの印象だけど、読み返していて、一枚の絵を描くことをイメージしていた。手を動かさなくたっても描ける絵のこと。自分の目に見える世界のこと。みんなきっとはじめは、クレヨンみたいな画材がぴったりの、色と意味の洪水みたいな世界しか見えていない。成長するにつれ、より繊細な線が描けるクーピー、鉛筆、シャープペンシルがぴったりの画材の世界になってくる。途中で油絵の具で全てを破壊しにかかるけど、そのあとの絵を諦めるか、新しい画材を見つけてくるかはひと次第...みたいなことが浮かんでくる小説だった。自分は、いまは割と油絵の具で豪快に塗りたくりたい。

愛すべきチャーリィ・ゴードンは大人になりたかった

さて、さめたつまらない顔をした大人にはなりたくなかった私とは正反対にこの話の主人公、チャーリィは賢くなりたいという欲求が他のひとよりもうんと強かった。

チャーリィにはチャーリィの世界があった。そこには十分にともだちがいたし、仕事だってあった。嫌なこともそりゃすこしはあったけど、たいてい気にはならないものだったし、悪くはなかった。ただ、他に賢いひとたちがいて、自分とはものの見え方がまるで違うんだっていうことにはうすうす気づいていた。チャーリィは賢くなってみんなを驚かせたかったし、もっと役に立ちたいという気持ちがあった。このころのチャーリィの思考はひらがなでごった煮に書かれている。まるで意味を汲み取ることが容易ではない抽象画のような世界。

ここからもわかるように、主人公のチャーリィは人間が好き。賢くなりたい、と、人生に対してとっても前向きだし、そうやってまわりのみんなの役に立ちたいという気持ちがある。こんなふうにまっすぐ素直でいいやつなので、かれはばかにされながらも、結構ひとに好かれていた。ひとのことが嫌いじゃないやつは嫌な印象を与えないから、やっぱりこうやってひとに好かれるもんなのかもしれない。

わかる。賢いひとっていうのは、クールなんだ。自分がやろううとしていたことをもっと速いスピードで処理していく人々と出会ってしまったとき、自分にはない彼らのその知、その能力はとっても輝いて見えるもんだ。そうやって、自分も彼らみたいになりたい、なれるはずと根拠なく思うようになる。チャーリィはこの欲求に気づいた。

成長過程のグロテスクさ

大変なのはそこから。根拠がなかったときはいいんだけど、実際にとある格好いい目標に焦点を定めると、その距離が明確になってくる。自分と向こうの隔たりがはっきりと分かるようになる。私の場合ここで自分のダサさ、みすぼらしさまでがはっきりと見えてくるようになり、もう挫折したい気持ちでいっぱいになる。チャーリィも同じで、ちょっとずつものが鮮明に見えてくるにつれ、以前は言わなかった文句を垂れるようになり、明らかに苛立ちを見せる。

そしてチャーリィは成長の過程でかつて自分が見えていた世界が、ちょっとずつその色味を変化させていくのを目の当たりにする。人間関係的なところがメインだけど、それが結構エグい。これは結構な読者が経験あることなんじゃ無いか。ある人たちの間だけでは公然の秘密だったことを後から知らされたとき感じる気持ちに似ていると思う。仲間はずれにされ(てい)たという悲しい気持ち。

でもチャーリィは大人になりたい、賢くなりたいという強い欲求を持っていたので、普通のひとよりも賢いアタマを持つようになり、そこらへんは問題にさえしなくなる。読者はその成長した思考に非常に安定感を覚えることと思う。さすがや。

成長の中でこういった強い考えとか自信がひとつあったら、もっと早めに安定することができていたのかなわたしも。なんて思っちゃう。

「ぼくの教養は、ぼくとぼくの愛するひとたちーぼくの両親ーのあいだに楔を打ち込む」

ちょっとそれるけどこれは、作者がこの本を書くきっかけとなった、彼自身によるメモの言葉。わたしはこのことばにズキュンときた。これは!ずっと私も感じていたことだった。何かを知って、それを表現するための新しいことばを覚えることは、その言葉によって知っているひとと、知らないひと(知りえないひと、知ろうとしないひと)の世界を真っ二つにきることだなと。

わたしは年をとるにつれて両親や親戚と会話が、以前のようには合わなくなっていった。だんだんと理屈っぽいとか、結局何が言いたいのかわからない、とか時にはこわいとまで言われるようになった。ことばはひとがコミュニケーションをとるための第一の方法なので、効果がすぐにあらわれたのだった。

ことばは高い障壁を築くけど、それを乗り越えた先に生息するすきものたちがいる。わたしはその先の世界が好きだけど、このあたりの居心地の良いところがいい人たちもいて、さらには私も知らない抜け道を知っているひとがいる、みたいなことに気づけたのは徐々にだった。そうなったあとはちょっとラクになった。

酔いから醒めたチャーリィの求めた生き方とは

チャーリィはふつうのひとの倍のIQを持つようになる。超賢くなったチャーリィが求めた生き方とはどんなものだったのかーそれは自分の行く先を見極めることだった。IQが高くなったあとも、過去の自分は完全に切り捨てられるはずがなく、昔のあの、気のいい愚鈍なチャーリィは常にかれの中に存在していたのだった。

これが話の中に出てくるところははじめは不気味なんだけど、ちょっと自分に置き換えて見て考えると大丈夫になる。ダメな時、本当にだらしない自分、思い出すだけで自己嫌悪に陥る自分っていうのがいる。でもしかも幸か不幸か、今の自分はそれらによって構成されて成り立っているのは紛れも無い事実だ。それらは自然なものとして今、自分に生きている。そう思うと、昔のチャーリイに対しても、そんなにこそこそ怖がらなくてもいいよ、もっと見えるところに出ておいでと、そう優しく思えるようになる。

最終的にチャーリィは元いた場所に「還る」ことになるんだけど、そこは同じ抽象の世界でもかつて見ていたものとはちょっと趣の異なる世界になっていたことを(少なくとも読者は)知る。そして当然同じ部分ものこっている。読後感は淡い悲しさがちょっと漂うけど、深く優しい気持ちになれるものだった。やっぱりチャーリィは、人間が好きで、とってもいい奴なんだと思う。賢くなると少し短気にはなったけど、それでも基本的には心根の優しい奴だった。

ちょっと人生を概観するっていう壮大すぎる物語であり、私には到底想像も及ばない部分もあるからうまくは言えないけど、今の自分は酔いからさめてもっと細密な画が見えていけるようにならなきゃいけない時期なんだとおもっている。それがたとえ、もっと知的な生物から見たらひどいピンボケな発想でも、このアタマなりにそう思っている。いつか、還るべきところに還った時、カラフルででっかい抽象画を見ることができますように。わたしはキレッキレのIQマックスのときのチャーリィと、見えている世界についての話がしてみたいな。