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あのトモ

- 本に出てくるあの娘ぼくがトモダチになろうっていったらどんな顔するんだろう -

空港にて - どこか、遠くへ行きたいな

f:id:peephole89:20161217180359j:plain※ イメージは空港ではなく京都駅だけど、いつも空港に近いものを感じます。

ミレニアム後の閉塞感で生まれた小説

村上龍「空港にて」は、2001年から2003年にかけて発表された、8つの話からなる短編集。

ノストラダムスだ!ミレニアムだ!なんてお祭り騒ぎしている流れで21世紀になり、小泉純一郎が総理大臣になり、アメリカでは同時多発テロが起きたその頃に書かれた。あとがきに本作を書くに至った動機がわかりやすく書いてある。以下の一文が印象的だ。

考えてみれば閉塞感の強まる日本の社会において、海外に出るというのは残された数少ない希望であるのかもしれない。

2001年ごろ海外に住んでいたわたしには、当時の日本の空気がわからない。しかし、帰国して、大学に入るころまで、最後のフロンティアは海外にしかないみたいな空気を肌で感じ続けていた。

募金活動に熱を入れる学生たちの行動原理

これを読んで、2008年ごろ、私が大学生の時に声を枯らして募金活動を行っていた人たちのことを思い出した。

これができる、これが好き、という感情が、役に立つかどうかという基準で切り捨てられながら育った私たち。みんなそれぞれ事情はあるけど、その日の食事に困るような暮らしをしている人はいなかった。自信も取り柄も見出せない死んだ目をしたわたしたちは、恵まれていてごめんなさい、みたいな強制的な気持ちが、大きな輝かしい目をした発展途上国の子供たちなんかに持っていたのだとおもう。その証拠に大学では国際協力サークルがいくつもあり、そこに奇妙なほどに熱を入れている学生たちが少なくなかった。震災が起きてからはその熱の方向が海の外から東北に向いただけで、あきらかにこまっている、日常とは違う世界に対しての援助が良しとされた風潮があった。

私も彼らに混ざり募金を募ったこともあったけど、募金を募る私たちは、その行動の美しさの元に正当な理由で集まった集団であり、そういった自分らの誇りをもって、仲間内で楽しくつるんでいたように思う。みんなには少なからず、テレビドラマやニュース、漫画やゲーム、家族や彼氏や彼女、そんな日常にうんざりしたところがあり、かといって、すでに打ち込める何かを持っているわけでもないので、熱を持て余していたのかもしれない。

普通の人たちと、それぞれの脱出先

あとがきではこの短編について、普通の人たちが、個人的に、各々でしか体験できない希望、のようなものを描いている、と説明している。

本作では海外の子供たちや明らかに困っている人たちへの支援、という形での脱出を行う人はいないけど、やはりそれぞれ日常で感じている閉塞感からの脱出を、自分の殻を知ることとそこを突き破ること、を試みている。

結婚披露宴会場にて、という話での男女の会話が特に印象的だった。映画のシナリオライターとして成功している男がものの価値について、ワインを引き合いに出して語るシーン。かつては安酒を馴染みの仲間とくらっていれば良かったけど、いまや本当に価値のあるワインをその価値のわかる人と過ごす時間に重きが移っているという文脈で、

ほとんどの人は、つまり普通の人は、一生こういうワインは飲めない。普通の人は、一生、普通の人生というカテゴリーに閉じ込められて生きていかなければならない。そして、普通という人生のカテゴリーにはまったく魅力がないということをほとんどの人が知ってしまった。そのせいで、これから多くの悲劇が起こると思うな。

という男。では、どうすれば良いのかと女が尋ねると、彼はこう答えた。

このワインと同じように力のある何かを探すしかない。

わたしはどう思うか、彼の言う通りだとして、彼のワインにあたるものはなんだろうか、と心に問いかけた。

表紙は空港の写真。空港へ行くとなぜかわくわくした気持ちになるけど、それは物理的に距離を移動させてくれる、シンプルな脱出が行える場所だから、今のその先、とか、希望みたいなものを連想させるっていうのも理由の一つかもしれない。