あのトモ

- 本に出てくるあの娘ぼくがトモダチになろうっていったらどんな顔するんだろう -

フラニーとズーイ - "私はただ、溢れまくっているエゴにうんざりしているだけ。"

フラニーとズーイ (新潮文庫)

フラニーとズーイ (新潮文庫)

初めてのサリンジャーでした。

わたしは読んだこともないくせに、この作家の持つ雰囲気が好きではありませんでした。図書館司書なり、どこぞの有名人なり、そういった何処の馬の骨とも知れぬ大人たちが薦めてくるリストで彼の作品をよく見かけたからです。

ようやく27歳になって素直に読む気になったのですが、遅すぎるなんてことはありませんでした。

ラニーは妹、ズーイは兄、それぞれ20歳と25歳の美男美女きょうだいです。こどもの頃からラジオに出演していた、ちょっとした有名人です。

ラニーは気取り屋の彼氏と知ったかぶりの教授に、ズーイは事なかれ主義な同僚に、それぞれうんざりしています。二人とも、周りの人間よりも自分の方が崇高なものの考え方をすると思ってる一方で、自分たちは他とは相容れない一種のフリークなんだ、と甘ったるい自己憐憫に浸る傾向があります。

“私はただ、溢れまくっているエゴにうんざりしているだけ。”

わたしの話をします。わたしはどちらかというと優等生タイプでした。周りの人たちが「期待」や「可能性」みたいな話をすると、そこそこでこなすことができました。その行為は、漠然と自信のなかった自分にとって、世の中に存在している意義となりました。

やがてその、小さな澱のようなものは積み重なっていき、もともと謙虚に隠れていたわたしの、なんというか、"willing" な、こう積極的でありたいというような感情は、ほとんど見つけるのが困難になってしまいました。

すべての人間、商品、すべての人工物が、各々に勝手な主張をしている、「うるさい」ものだと思うようになりました。

各々の小さな「エゴ」で構成された世界に、わたしだけの人生のレールや、居場所なんて、そもそも用意されてはいなかったのです。

私はただ、溢れまくっているエゴにうんざりしているだけ。私自身のエゴに、みんなのエゴに。

どこかに到達したい、何か立派なことを成し遂げたい、興味深い人間になりたい、そんなことを考えている人々に、私は辟易しているの。

そういうのって私にはもう我慢できない。実に、実に。誰が何を言おうと、そんなのどうでもいいのよ。

そんなわたしが、フラニーとズーイを読んでいてまず、深く頷いたのがこのセリフ。ひどく破壊的な感情です。

自分のエゴが迷子の人間に対して他者が、あれやりたいこれやりたい、ねえどう思う、だからこうしたほうがいい、それは間違っている、エトセトラ、エトセトラ … と関与してくると、言われ続けた方はたまんないです。

作中でそのようにして無気力状態になった妹に対し、兄が放ったセリフが印象的です。

それはそうと、どうして君は神経がやられちゃったんだい? つまりさ、そんなに力一杯崩れちまうことができるんなら、どうして同じエネルギーを使って自らをしっかり保っていることができないんだ? 

本物のエゴと偽物のエゴ

自分のエゴを、本物のエゴをしっかり使っている人間には、趣味のために割く時間なんてありゃしないよ。

さらに追い討ちをかけて、フラニーを混乱させるトピックが持ち出されます。ズーイによれば、本物のエゴと偽物のエゴが存在するらしいのです。ズーイはこんなことも言っています。

この世界のいやらしさの半分くらいは、自分たちの本物のエゴを用いていない人々によって生み出されているんだ。

偽物のエゴというのが何かを考えるために、作中でそのエゴが非難されている人物をあげてみると

タッパー教授、レーン、(間接的にではありますが)ミセス・グラス、ズーイの職場のスタッフ達 …

この面々は見栄、体裁、社会一般常識的配慮、興業的反響など、「誰か」「何か」の存在ありきで、それと比べることによって初めて自信を手にするタイプの人たちです。

であれば「本物のエゴ」っていうのはきっと、他の人の存在を全く無視しても成り立つ、自分を動かす自分のための動機なんじゃないのかなあ。

エゴを取り戻した話

わたしが自分の小さな「エゴ」を意識し始めた出来事があります。

すこし前に転職活動をしてました。その際、思い切って別業界である(あこがれの)出版社を受けて、不採用となりました。結果は結果、と受け入れたのですが、一つだけつっかかることがありました。

最終の面接でわたしが、これまでに参加しておもしろかった、本にまつわるイベントの話をしているときのこと。同世代くらいの面接官に、ちょっと笑われながら

それ、業界の人じゃなくてもおもしろいですか? どうやって情報あつめてるんですか?

と、言われました。

素朴な疑問といえばそう処理もできるのですが、わたしにとってそれは、業界の人しかイベントへ参加したり、界隈の話題に口を挟んだりする権利がないのだと、そう線引きされたも同然のインパクトがありました。

言いたいことは言ったし、やれるだけのことはやったけど、半笑いされてしまった気持ちは、フラニーが舞台上で発見した5列目の客の反応を見た時の気持ちに近いような気がします。

凹みましたが、読書することはわたしにとって、自信を持って好きだと言える貴重なことです。ずたずたにされてしまったけど、そのちょっと自惚れた気持は守り通したいと思いました。

このブログは、本業の人にはかなわなくてもなるべく近いくらいのテンションでいたいし、他業種に従事する人の中では特に本好きでありつづけてやるという、誰のためでもなく自分に向けている意地というか「エゴ」というか、そんなものによって動いてます。

何が誰の為になるかなんて分かりっこない世界です。だからせめて自分の好きなものはそう言える状態でありたいです。