あのトモ

- 本に出てくるあの娘ぼくがトモダチになろうっていったらどんな顔するんだろう -

きりこについて - 可愛いは作れる、ブスは直せる

写真写りの悪い一枚を見て落ち込んで「まじブスなんだけどw」と呟いたら

「ブスは直せる」

と力強い言葉をいただき、「きりこ」のことを思い出しました。読むたびに勇気が出る一冊です。

あらすじ

きりこは、ぶすである

顔の輪郭は、空気を抜く途中の浮き輪のように、ぶわぶわと頼りなく眉毛は、まるで間違いを消した鉛筆の跡だ、がちゃがちゃと、太い。その下にある目は「犬」とか、「代」などの漢字の右上の点のようで

と以下ひどい特徴がずらずらと ... それが「きりこ」です。

そんな、世間一般的にはどうみても「ぶす」だけれど、両親に蝶よ花よと育てられた「きりこ」が少女時代から大人になるまでを、その飼い猫「ラムセス三世」が見つめた物語です。

何が起きるというわけではなく、「ラムセス三世」からみた「きりこ」の日常がいわゆる「西加奈子節」でおもしろおかしく、ときに切なく切り取られています。

「きりこ」はちょっと「随分」な見た目で、しかもかなり自信を持って「勘違いブス」みたいな言動を繰り返すのでそのまま語るには露骨で痛すぎるたかもしれないところを、彼女の飼い猫目線で語ることにより、とろけるような優しい物語に仕上がっています。

人は見た目が9割と、気づいたのはいつからだったか

作者の西さんは子供の頃の説明がつかないモヤついた感情を言葉に落とし込むのが本当に上手です。

子供というものは大概「きょとん」としている。ことに人間の子供は、十一歳まで脳みそが安定しないという。水のようなものの中に、脳みそがふわふわ浮いていて、それは大人の人間が酔っ払った時の状態と似ている、らしい。つまり子供は、いつも酔っ払っているようなものなのだ。

そうでしたそうでした。シラフで箸が転げても面白い時代はあったのでした。

「きりこ」は昔から大人たちに同情の目を向けられていましたが、「きりこ」のまわりの「酔った」頭の子供たちは、「きりこ」の容姿はともかくその性格、自信に溢れた言動と際立ったリーダーシップに対し、一種の尊敬を持って接していました。

「きりこ」は「ぶす」という容姿では不利な境遇でしたが、友人は多く、むしろ女王様的ポジションを確立した小学生時代を送ります。

しかし小学生のあの説明のつかないナチュラルハイ、「酔った」状態は思春期の到来とともに終わりを告げます。

彼らは「酔っている」状態から、徐々に醒めつつあったのだ。そんな折の、こうた君の一言。きりこは、ぶすだということ。皆の魔法、「うっとり」の魔法は、それで、一気に醒めてしまった。

「きりこ」は初恋の相手「こうた君」から間接的に「ぶす」という理由で好意を拒否されたことで、我に帰ります。

わたしは小学校の前半には早々に、自分は中身で勝負だ! と割り切りました。蝶よ花よと育たず、現実的な言葉を持って育てられたからでしょう。

ブスには残酷な世の中

「きりこ」は両親から可愛い、可愛いと言われ続けて育ったので、世間一般の「可愛い」と「ぶす」がわからなかったのですが、この段階で初めて冷静に分析をはじめます。

いわゆる「可愛い」子は猫みたいな顔立ちの子で、自分はそこからかけ離れていること。「ぶす」ってだけで同情的な扱いを受けること。そんなことに気づき、自問します。

「ぶすだから」と自分を否定して、隠れるように生きている。ぶすって、何だ。誰が決めたのだ。目が大きいのがいいって誰が? 顎の下がなだらかなのは、美しくない? では、美しさとは? 誰が決定する? 誰が?

Lady Ga Ga の Born This Way じゃないですが、個性は美しいから自信を持てみたいな意見もありますが、それすらも一般的な「美しさ」へのアンチテーゼとして成り立っている感はあります。それが通用する社会の限界もある気がします。

本当に「美しさ」って「ぶす」って誰が決めるんでしょう。不思議と多くの人がそう認める範囲がかぶるのは何故なのでしょう。そして「美しさ」が、特に若い時には「良いもの」として好意的に支持されるのは何故なのでしょう。

何故「美しさ」をもって生まれた人と、そうではない人がいるのでしょう。

「きりこ」同様ほとんどの人が同じ思いを虚空に問うたことがあるのではないでしょうか。

諦めと慣れとわずかな期待

「ぶす」が自信をつけるには、努力が必要です。

私が思うにその努力とは「諦め」を持ってなんとか残酷な容姿を見つめ、「慣れ」の向こう側になんとか「期待」を見出していく作業の繰り返しが必要になります。

こうた君の言葉に傷つけられた「きりこ」も同様の作業を持ってがんばりますが、それだけで復活できればよかったのですが、 ... 「きりこ」は出発点が自信満々の状態でひどい言葉を言われたのもあって相当傷が大きかったのか、結果的に学校にもいかず働きもせず、気力の削がれた人間に成長してしまいます。

そんな「きりこ」の転機は、猫たちとの出会いでした。

可愛らしい、存在しているだけで愛される猫たち。彼らが容姿で仲間を判断せず、あるがままに生きている様子を見て「きりこ」は一つ悟りを得るのでした。自然体で自信を持って生きる方向に自分の道を見出したんですね。

自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん。これは、きりこが自分自身に対しても、言い聞かせた言葉だった。「ぶすやのに、あんな服着て」あんな言葉に、屈することはなかった。彼らは、「きりこ」ではない。きりこは、きりこ以外、誰でもない。

「きりこ」は、同じように見た目、つまり「容れ物」の問題を抱えている人たちと出会い、彼らを変えてゆきます。

外見の「美しさ」は、確かに不思議と存在するようだけれど、成長するにつれ「きりこ」もまわりも、人の魅力はそれだけではないことに気づいていくんですよね。

さいごに

いつも自信に溢れているブチャイクな女の子「きりこ」の言動にはいつも勇気付けられるのでした。

わたしの思う「美しさ」ってなんだろう、とインスタグラムで「美しい」と思ったモデルや芸能人の顔をストックしてみました。

並べてみると、昔はこのタイプ! って好きな顔がはっきりしていたのとは対照的に、外見的特徴というよりは、表情とかたたずまいに良いなあとなってました。

一生懸命同じような「美しさ」に向かって努力していたような自分の若い頃みたいな子たちに一人でも多く、バラエティに富んだ「美しさ」があることを気づいてほしい、そんな仕組みができればいいなと、思ったのでした。

あとやっぱりの、猫最強説。猫大好き可愛い尊敬します。