あのトモ

- 本に出てくるあの娘ぼくがトモダチになろうっていったらどんな顔するんだろう -

パン屋再襲撃 - つい、タイトルで手に取っちゃいます

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

1989年バブルの崩壊時期、私の生まれた頃に書かれた村上春樹の短編集。

6つの短編で構成されています。

余談ですが裏表紙に書かれているあらすじで、ここまで本文とくいちがっているものははじめてでした。

微妙にくい違った人と人の心が、ふとしたことで和んで行く様子を、深海のイメージによせて描く6作品。ところで、いろんなところに出てくる<ワタナベ・ノボル>とはなにものだろう?

「深海」っていうところに惹かれて手にとったところもあったのですが、蓋を開けてみても深海を感じさせる内容が特筆されているように思えないし、ワタナベ・ノボルだって全ての短編に登場していたわけではありませんでした。

全体的にいつもの「村上春樹感」はあるものの(特にファミリー・アフェアなんかはそうですが)いつも以上にキザにキマっておらず、カッコ悪い部分が丸見えの弱い主人公の描き方におや、とおもいました。

特に印象に残った3作品について感想。

パン屋再襲撃

「もう一度パン屋を襲うのよ。それも今すぐにね」と彼女は断言した。「それ以外にこの呪いをとく方法はないわ」

夜中にひどい空腹感に襲われた男が、昔、同じようにひどい空腹感に襲われたときに友人とともにパン屋を襲った話を妻に語ります。彼らはパン屋を襲ってパンを奪い取ろうとしたものの、クラシック音楽マニアであったパン屋の主人は、ワーグナーを最後まで聴くのに付き合えばパンをタダでくれてやるという条件を持ち出したために、襲撃自体が未遂に終わってしまったという内容でした。その後、男と友人とはなんとなく疎遠になってしまいます。妻はそれを聞いて、夫婦でマクドナルドを襲撃しに行く提案を持ちかけます。

パン屋という牧歌的な響きの言葉と、襲撃という少々物騒な言葉が組み合わさっったミスマッチ感が目を惹くタイトルです。もしかして先にこのタイトルが先に思いついたのかもしれませんね。 …

クラシック音楽マニアのパン屋というのが、京都の出町柳にある「柳月堂」を思い起こさせました。「柳月堂」は二階が名曲喫茶になっているカフェ兼パン屋さんで、閉店時間には店主さんと思しき男性が自ら店内でバイオリンを取り、閉店の音楽を奏でます。

象の消滅

象の消滅を経験して以来、僕はよくそういう気持になる。何かをしてみようという気になっても、その行為がもたらすはずの結果とその行為を回避することによってもたらされるはずの結果とのあいだに差異をを見出すことができなくなってしまうのだ。

廃業になった動物園から譲り受けた一頭の象が、管理されていた町の施設からある日突然いなくなってしまいます。不思議なことに象の飼育員も、象と一緒に行方が分からなくなりました。このニュースは当初それなりの話題にはなっていたものの、次第に人々の関心からは遠ざかってゆきます。その中で主人公だけはこの「象問題」が気になって仕様がないのでした。

これもタイトルが目を引く作品です。巨大で存在感のある象と、消滅という言葉の対比。私はこの作品が短編集の中で一番好きでした。

自分にとっては重要だと思っていた関心は、案外他の人にとったは大したことがないという話だったように受け取りました。

双子と沈んだ大陸

双子の彼女たちと別れた(? ちょっとそうはないシチュエーションですが)男がたまたま、雑誌の写真で彼女たちを見つけて思いを馳せる話。

話の内容自治は正直あまりピンとこなかったのです。おなじみの「女の子」「ダイキリ」「ウィスキー」「キザなセリフ」「セックス」「少し抽象的で不思議な会話」が散りばめられたいわゆる、「村上春樹」純度100%といった内容だったのです。しかしひとつ特筆したいのは、主人公の男が所在無さげに街をさまよう時の描写がとても格好良かったのでした。

街は変ることのないいつもの街であった。混じりあってそのひとつひとつの本来の意味を喪失してしまった人々のざわめきや、どこからともなく次々にあらわれて耳を通り抜けていく細切れの音楽や、ひっきりなしに点滅をくりかえす信号とそれをあおりたてる自動車の排気音、そんな何もかもが空からこぼれ落ちてくる無尽蔵のインクのように夜の街に降りかかっていた。夜の街を歩いていると、そのようなざわめきや光や匂いや興奮の何分の一かは本当は現実に存在しないものであるように僕には思えた。それらは昨日や一昨日や、先週や先月からの遠いこだまなのだと。