あのトモ

- 本に出てくるあの娘ぼくがトモダチになろうっていったらどんな顔するんだろう -

ここは退屈迎えに来て … 憧れは形を変えてゆくけど。

私は就職のタイミングで関東から関西へわざわざ移動してきた。よく訊かれるその理由をうまく説明するのに、この本が一役かってくれそうな気がして、読んでみた。

アラサーのひとで、地元も都会も知っているひとは、あるあるとうなづきながら読めそうな一冊だった。

あらすじ

よくあるような地方都市。

地元の学校で人気者だった「椎名一樹」という男性をめぐる八編からなる短編集。

特に「東京、二十歳。」が良かった。憧れだった家庭教師のお姉さんの当時の年齢に自分が追いついた時、自分はどんな生活をしているか改めて見回してみるって話。

「私たちがすごかった栄光の話」は主人公と、その会社の先輩二人ともサブカル野郎。二人とも一旦は東京の中央駅沿いへ住んだものの、Uターンしてきて地方のタウン誌の出版社で働く。

「俺がこの数年でどんだけEXILEのバラードをカラオケで聴かされたか、お前わかるか?」

とか、そんな二人のセンスが漏れ出てる会話には、ニヤつきを隠しきれなかった。

  • 私たちがすごかった栄光の話
  • やがて哀しき女の子
  • 地方都市のタラ・リビンスキー
  • 君がどこにも行けないのは車持ってないから
  • アメリカ人とリセエンヌ
  • 東京、二十歳。
  • ローファー娘は体なんか売らない
  • 十六歳はセックスの齢

所感 …

上京の憧れとその先

関東を離れて早六年。私はまだ、京都に住んでいる。

地方から都会へ上京する人たちへの不思議な憧れがあった。お金は無いけど夢や憧れだけは持って上京し、苦労しつつも、何かに期待を抱きながら生きる、そんな若者の物語を見ては熱くなっていた。(昭和の終わりとか平成のはじめの方で見つかるそんな作品が特に好き)

憧れの正体を突き詰めると、私はどうも上京という行為そのものに憧れていたわけではなく、その人が抱く都会への憧れに、憧れていたことに気がついた。誰も知らない土地で自分がどこまでやれるのかっていう期待と、慣れた地元で「ここは退屈迎えに来て」と逃げたくなってる気持ちの両方から来る胸の高まりに、ひどく共感しながら憧れていた。

しかし、私の実家は横浜の、とある特急の止まる駅にある。だから、かれらのいわゆる「上京」を百パーで体験することは出来そうにないなぁ、と思っていた時、機会は訪れた。新卒で入った会社の配属先の選択肢に京都が上がり、私はそれを選んだ。人生の中で「京都編」を作れると思うとワクワクした。森見登美彦万城目学の小説はもちろん、幕末の歴史なんやらが大好物な、当時大学生の私だった。そうして地元を離れて京都に向かった日の心許なさと、期待の混ざった気持ちは「上京」する彼らとそう遠くはなかったと思う。(実際、意味合いとして京都も「上京」でおかしくなかったりする)

京都が地元の人は、きっとこの気持ちが私の百パーほどは味わえないだろうから、かわいそうだと思う。ちょうど私が横浜や東京に対してそうであるようにね。

そんなこんなで六年経った。でもまだ京都にいる。まだ、わたしの中から「ここは退屈迎えに来て」は聴こえない。まだこの街で、何かに期待しながら生きている。地元よりはそうだという実感がある。

でも、あの当時の百パーの気持ちではない。

ふわっとした少し遠い所にある憧れは、生活をしていくことでグッと近づいてきて、現実に組み込まれていく。イメージだけで行きたかった場所に何度も行くことで、例えば鴨川だったら特に春の朝の、出町柳から北山までの間の東側が好きとか、細かいレベルでの感覚になってゆく。そこで何が良いなって思わせてるのかって考えると、面白いことに、私がそこを好きである要素は、あれだけぱっとしなかった地元の近所の河原にもあるのに気づいたりする。

それに京都だからといって毎日が非日常なはずはなく、スーパーへ買い出しに行ったり、洗濯物を干したり、ゴミを出したりなんだり、そんな生活は続いてゆく。住む時間が長くなるにつれ、だんだんと観光地には行かなくなって(人が多くてやだから)自分だけの路地を探していたりする。私が横浜の、野毛の坂道の住宅地でやってたことと同じだ。

少しずつ、この土地との付き合い方が変わってきているのを感じている。

学生時代のヒーローの賞味期限

「椎名一樹」の視点では語られないから本意は分からないけど説明されている背景から推測するに、彼もそれなりの挫折を経て、社会に揉まれて、大人になった。彼は、自動車教習所の教官として働くサラリーマンとなり、父親となった。

各短編ではかつての椎名のことを知る人間が、その後の椎名と(直接的なり間接的なり)出会っていろいろ思うって内容だ。

学校という狭いコミュニティに縛られていた頃、学校イコール世界だった。だから学校の人気者はそれはかっこよくて、大きな存在だった。やがて世界の広さを知った後で彼らのことを考えると、やはり魅力的ではあるけど、そういう人の一人だよなって視点で見るようになっている。地元だってそうかもしれない。それがイコール世界だった時と、その外を知った後では違う。そういうレベルの街の一つだよなって思う。

でも人にしろ、土地にしろ、そういう〇〇のうちの一つになってしまっても「私にとっては特別な」ってかっこ書きを入れることができる。ローカルなものは個人的な思い出によって、特別な価値がくっついている。それは、それだけは自分だけにしか語り得ない価値なんだと思う。誰かが、その人の特別なものとか、その人にとってのカリスマの話を熱っぽく語るのを聴くのは、なぜか楽しい。

これを読みながら、一昨年参加した高校の同窓会の時の気持ちになっていた。人気者だった同級生はすっかりサラリーマン然としていたし、当時の美少女もやはり平等に年齢を重ねていた。でも私にはちゃんと、彼らと過ごしたあの頃の特別な物語が残ってる。

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)