あのトモ

- 本に出てくるあの娘ぼくがトモダチになろうっていったらどんな顔するんだろう -

「青い月の石」を読んで ... 解けてしまう魔法について。

「オランダの50年の中で一番の子どもの本を書いた」おじいさん作家、トンケ・ドラフトによる子どものためのファンタジーだ。 岩波少年文庫なんて、成人してから初めて手に取ったかもしれない。

最近、これが読みたい、という強いこだわりが持てなくなった。だからこそ、ひとに勧められた本を好き嫌いなく素直に読めるいいチャンスだと思った。

YA(ヤングアダルト)ジャンルに詳しい友人が勧めてくれた、最近出た作品の中で気になったという一冊だった。

あらすじ

物語は「千の顔を持つ英雄」で紹介されている「神話」のテンプレに綺麗に沿っている。 イケメンの王子様が数々の試練を経て美しいお姫様を救い出す話だ。ただし主人公はいじめられっこの少年ヨースト。

ヨーストがきっかけを手にし、王子と共に旅に出て、試練をくぐり、仲間の力を経て帰還する。 「千の顔を持つ英雄」風にいうとこれはヨーストの英雄譚ということになる。

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

周りから魔法使いだと言われているおばあさんに育てられたヨースト。彼もまた昔は魔法を使うことができた。昔は毎日がもっと楽しかった。

ヨーストの部屋には不死鳥の羽や魔法の杖などがあるけど、いまや古ぼけた地味な鳥の羽とただの木の杖にしか見えない。猫のペイルともいつのまに話ができなくなってしまった。ヨーストは、かつて魔法が使えたことが信じられなくなってきていた。

そんなある日、校庭でオランダ版の「はないちもんめ」をしていると、なんと、ヨーストは地面から異形の生き物を召喚してしまう。かれは地下世界の王「マホッヘルチェ」。マホッヘルチェは「青い月の石」をくれてやろうと言い残してさってゆく。

ヤンはもともとヨーストの友達だったが、いまではすっかりいじめっ子だ。ヨーストと、このヤンは校庭から飛び出して、マホッヘルチェの足あとを追いかけていく。その道すがら、二人はイアン王子と出会う。二人の少年と王子はマホッヘルチェの後を追い、地下世界へと旅出つ。

少年たちと王子は数々の試練をくぐり抜け、美しい姫君を見つけて帰還する。しかし、地上に帰還しても試練は完全に終わってはいなかった。いじめっ子、いじめられっ子の二人の少年、それに二人が淡い恋心に似たものを寄せる少女フリーチェも巻き込んでの新たな物語で、大団円へと進んでゆく。

魔法について

魔女の宅急便のキキもジジと話ができなくなってしまうけど、ある時から「魔法が解けてしまう」ってどういうことなのだろう。

ネットで調べればいくつも出てくるけど、キキの件については、宮崎監督直々のコメントがあるようで。

ヨーストについても、それと同じ可能性もある。つまりヨーストが猫のペイルと話せていたのは、単にヨーストがヨーストの心の声をそう勘違いしていただけだし、火の鳥の羽や魔法の杖がマジカルに思えていたのは、たまたまそのアイテムを使ってラッキーなことがおきた体験で大げさに思っていただけかもしれない。

そんでこうも考えられる。小さい頃は身のまわりのあらゆる体験がはじめてだけど、成長するにつれそれがありふれたことなんだと気付いてゆき、はじめての驚きの記念に大きな意味合いをつけていたものは、大したものではなくなってゆくのかもしれない。

しかし大したものでないと知ってても、つまらないものでもなんとなく特別感を捨てきれず、取っておいてしまう気持ちもある。いや結構、実家に帰るとみんな、そんなもんが溢れているのではなかろうか。私のはたくさんあるけど、例えば大好きだったハムスターの寝床に使われていたティッシュの切れ端、地元の子どもの間ではめっちゃレアって言われていたBB弾の青色ラメ入りのやつ、ケセランパサランを捕まえた!!と思って以来開けていないコーララムネの空きケースなど、など。ひみつノート「絶対に見るなよ」って表紙に書いてある、名探偵コナンの柄のノートにすべて保存してある。確かに、今更BB弾のレアなやつ、と言われても、その辺で拾えるのなんか絶対にお金出せば手に入るし、わざわざ大切に保管はしないだろう。ヨーストの場合は古ぼけた「火の鳥の羽」がこれにあたるわけだ。

ところで大人にもこの手の魔法は残ってると思う。例えば憧れの人と握手した後の手はなんか洗いたくないと思ったり、思い出の海岸で拾った小さな貝殻を取って置いたりするメンタルだ。魔法は冷めたりかけなおしたり出来るのかもしれない。

あるいは、特別な体験だと信じていたものが、自分で気づくのではなく、他者からその特別感を取り下げられることもある。このパターンは切ない。

うちの母親は小柄だけど地元の腕ずもう大会で3位に入ったことが、よくわかんないけどなんか入賞したことが小学生の時はやたら誇らしくて自慢の種にしていた。でもそんなのすごく狭い範囲の大会だし、そもそも腕ずもうってイケてるものなのか?と問われるとなるほど大したことないかもしれない、なんて我に帰ってしまったことがある。ヨーストの場合はおばあさんが魔女だっていうことを周りからからかわれるようになって、みんなと育った環境がズレていることの、特別感の価値を自分で取り下げてしまっていたのかもしれない。

この物語ではかつての魔法がヨーストの成長とともに復活する。一度価値の褪せてしまったものでも、それらに対して自分で自信を持ってまた語ることができるようになった時、魔法は復活するのかもしれない。ヨーストはきっかけを与えられて、旅に出て、自分の信じていたものたちが彼を助けてくれる過程でもう一度価値を見つけてゆく。もしかすると大げさに書きすぎたかもしれないけど、そう思った。

何もかもが困難な時に

最後の試練で、こんな会話が出てくる。

「何もかもがすごく困難なとき、何をしたらいい?」

「料理する」

「自分のためじゃなくて、だれかほかの人のために」

読み終えて、数日経ってからも妙にこの部分だけ残っていた。

素直に、いい答えだな、と思った。

私ならきっと、布団にくるまって寝っ転がる、と答えていたに違いない。


児童書は文字と挿絵が大きくて、むつかしい表現は少なくて、くたびれている頭でも読みやすい一方、内容の刺激という点では物足りなさを感じてしまうのかなと思った。でもそれは頭が大人モードだから。一旦いろんな前知識やバイアスをかけないように意識して解釈してみると、頭を柔らかくしてものを考える練習になるのかもしれなかった。

青い月の石 (岩波少年文庫)

青い月の石 (岩波少年文庫)