あのトモ

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「細雪」ほんとは結婚したくない婚活女子、雪子の話

細雪(上) (新潮文庫)

細雪(上) (新潮文庫)

読書会の課題書だったので、谷崎潤一郎の「細雪」を読んだ。

谷崎潤一郎の小説を初めて通しで読むことが出来た。谷崎潤一郎の小説はこれまでも何度か試みたけど、どうも安部公房のような奇抜なアイデアもなければ、太宰治のような惹きつけられる闇の部分も無くて、なんだかハマりきれず、いつも途中で挫折してきた。こんな機会でもない限り再び手に取ることは無かったと思う。しかし意外なもので、新潮文庫版の「細雪」は上中下巻の大作だったけど、読み始めたら止まらなくて二日で読み切ってしまった。… 理由はたぶん、二つあるだろう。一つは私が関西弁の壁を超えたこと。関西に7年も住んでいるうちに、以前は読んでも入ってこなかった文中の関西弁が、生きた言語として頭の中で再生されるようになった。お陰ですらすらと苦なく読めるようになった。もう一つは年齢的なものだろう。私はいま29歳。「細雪」の雪子や妙子が登場したときの年齢に当たる。そのせいか、どこか他人事には思えない心境でページをめくり続けていたのだった。つらつらと紡がれる言葉で物語は進んで行くさまに、NHKの朝ドラを見ているような中毒性の感覚を覚えた。

あらすじといってもまとめられる話じゃない。大戦前の時代、兵庫県は芦屋に暮らすお金持ち美人四姉妹の日常が華やかにつらつらと描かれている。上から鶴子、幸子、雪子、妙子の四姉妹は大阪船場でかつて名の通った商家の娘だった。いまや家は陰りの一途を辿り、雪子と妙子の2人はとっくに適齢期を過ぎているというのにまだ嫁に行っていない。

長女鶴子は5人の子を抱えるおっとりとした女性。良妻賢母的な価値観を持つ。他の三姉妹とは少しだけ距離があるような感じ。次女幸子はほとんど「細雪」の主人公だ。谷崎潤一郎的には雪子が主人公らしいが、いや全然幸子でしょ。幸子目線でものが描かれているように思えた。夫、貞之介と仲睦まじく、一人娘の悦子がいる。妹たちの結婚問題に気を揉み、本家の姉と義理の兄の面子にも気を使っている。三女雪子は線が細くか弱い印象を与える日本美人。幼い頃に亡くなった四姉妹の母親の面影を最も色濃く持ち、父親からはなんとなく一番可愛がられてきた。学があり芯の強いところがあるが、プライドが高いのとコミュ障すぎているのが欠点。三十路になっても見合い話をあれやこれやの理由で断り続けている。四女妙子、通称こいさんは一番小柄ながらも利発で外向的な性格。芸術家肌で、人形制作で一稼ぎした。また日本舞踊と洋裁を続けており、四姉妹の中ではサバサバと現代的な性格をしている。

そんな四姉妹が生きているのが「細雪」の世界。三女雪子の婚活話と四女妙子の破天荒な生き方に上の姉2人が巻き込まれる話を縫うようにして、戦前当時の芦屋の上流コミュニティでの人々の生活の様子が描かれている。お手伝いの女中がいるのが当たり前で、全く働かなくても良い大人の男女が当たり前にいるような世界。とっても美味しそうなお寿司やグリルなどの高級料理やら、近所に外国人が居て、特に珍しがりもせず交流している日常が描かれている。谷崎潤一郎作品を初めて通読した私としては、なぜ谷崎潤一郎はこの話を描こうと思ったのだろうかと疑問に思った。それについてはあとがきと解説を読んだら多少スッキリしたのと、ネットで調べたら次女幸子さんのモデルは谷崎潤一郎の奥さんだったということで、よっぽど話の題材として描きたくなるような魅力的なモデルとなる女性がいたのだろうと納得しといた。美しい存在がキャッキャしている様子がシンプルに尊いと思うところがあったのかもしれない。そうだとしたら今にも通ずるところのある感覚だ。時々ギョッとするようなグロテスクな描写、生々しい手術の様子や下痢の様子などが出てくるのはあえて美しいものを際立たせるための工夫なんじゃなかったのかと私は勝手に解釈した。

長編小説では特に、読み進めていくうちにいつのまにか、登場人物が友人のように思えていることがある。「細雪」にもお気に入りのキャラクターが何人かできたけど、雪子には特に同情した。ちなみにそれ以外のお気に入りは悦子、キリレンコ妹、ルミーさん、お春どん、櫛田医師ね。

私にとって「細雪」は、周りから結婚を急かされる雪子の婚活話としての印象が濃く残るものだった。雪子は周りの人が親切心で持ってくる見合い話を、家柄が微妙だとか顔が好きじゃないとかなんのかんのでことごとく断り続けて三十にもなってしまったお嬢さん。しかも本人は、「見合い?行っても構いませんけど」というスタンスで、なんとか重い腰を上げて呼ばれて行っても、コミュ障なのでニコニコしているか、あのう…はい…程度の相槌程度しか発言できない。それでいて、周りの心配や焦りをよそに、本人は働きもせず幸子の家に転がり込んで、けろっとしている。もっとも当時でそんな振る舞いが出来るのは、四姉妹の家にいくらかの名声と財力があるからだが、いまの時代ならニートだしふてぶてしい事この上ない。

雪子はうすうす、結婚してしまっては、何かつまらないことになりそうだと思っている節があったような気がしてならない。ふらふらと姉の厄介になりながら、姪のお守りをするのがベストで居心地が良いと、思っていたんじゃなかろうか。自分の女性としての価値は、未婚の神秘性、純潔さにあるのであって、結婚してはそれが損なわれてしまうのではないか、と思っていたのではなかろうか。

なぜそんな女に同情を覚えたのか。わたしにも、家の面子のためにつまらない人と結婚させられるのを理由をつけて断りたい気持ちはわかる。誰かの妻として母としての責任から逃れ、姉の家でゴロゴロニートが居心地良いのはそりゃそうだろうよと思う。それに語学を愛し、少し思想的に頑固なところのある雪子の性質に、わたしはシンパシーを覚えていた。「細雪」はわたしにとって、雪子に同情しつつ、もうちょっとは頑張れよ、そういうところがダメなんだよ、とダメな友達を応援しながら読むような話だった。同時に、雪子の男性へのコミュ障加減には自分の身につまされるところもあり、反面教師のようにもなった。

さて雪子について、読書会で気づかされたものの、とうとうみなさんに問うことが出来ずに終わってしまったことがある。雪子と橋寺氏の破局。あれは、雪子が振ったんじゃなかったのか。わたしはそう読んでいた、橋寺氏が振ったという人の発言を聞いて、たしかにそうも読めるな、と発見があった。雪子サイドの思想なわたしからすれば、…橋寺という人物はなかなか話は面白いし良い人だと思うし、そこいらで結婚しておくのが家の面子的にも、自分の結婚を待たせてしまっている妹のためにも良いに決まっているのはわかるけど、どうやら「女ギャング」的な、気の強い井谷さん達に引っ張り回されるようなスタンスがお好きらしいし、自分にはそんな性質はないからすぐに愛想をつかされてしまうだろう。それに前の奥さんのこともかなり引きずっていらっしゃるようだ、結婚をしたところで愛想をつかされて肩身が狭くなるようなら、未婚の価値を捨ててまで結婚することはないのではなかろうか… と考えていたのでは、と、読んでいた。雪子のことだから、自分の居心地の良さというのは重要視するだろうし、プライドの高さもあるのできっとそうだろうと。だから橋寺から電話が来た時、靴下屋に誘われた時、遺憾無くコミュ障を発揮して嫌われたのにもかかわらず、それに対しての弁解や謝罪を全く行わなかった。コミュ障を治そうというスタンスさえ感じられなかった。自分はそういう性質だしそれでいい。たまたま今回も合わなかったのだから仕方ない、また姉さんのところにいりゃあいいわ、程度にけろっとしてしまっている。たしかに、橋寺が愛想を尽かしてもういいですと憤慨したのは確かだけど、それに対して態度の改善をあえてしなかった雪子が、橋寺を意図的に振っていたと思えたのだった。そこら辺がわたしも近いところがあるのでまったくわたしの方も人生うまくいかないのだけどそれは余談として…。他の読者はどう捉えるだろうか。

細雪」を一気に読むことで、長編小説との付き合い方がまた一つわかった気がした。長編小説は最後まで読むと、物語の中のいくらかの登場人物と読み手の間に、短編では生まれ得ない、古くからの知人に対しての友情のようなある関係が生まれることになる。だから、同じ長編小説を読んだもの同士の読書会では、みんな共通の知人のことを話しているような感覚で、ああだこうだ考察できるのが楽しかった。

また余談だけど、読書会で、谷崎潤一郎がマツコデラックスに似てるという発言があった。たしかにビジュアルは似てるし、谷崎潤一郎の、女性に対する鋭い観察眼を持った文章もあり、なんとなく腑に落ちるというかなんというか。谷崎潤一郎はもう亡くなってしまっているので、マツコデラックスが谷崎潤一郎の作品の女性をバッサバッサと切るようなバラエティがあればとても見たい。あ、源氏物語の女達を切るのでも見たいかも。