
- 作者: カートヴォネガット,Kurt Vonnegut,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1995/10/01
- メディア: 文庫
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わたしたちは、いま、開いている目のちょうど後ろあたりに収められている、約三キログラム程度の脳みそによって左右されています。
この話は、まったく普通の男が死んで、幽霊になって、百万年間の間ずーっと人類を観察し続け、神のような視点を持つに至って語る、人間の脳みそについての考察でした。
語り手、レオン・トラウトが死んですぐ、人類は仲間内での最終戦争によってほとんど死に絶え、唯一ガラパゴス島に残るのみとなりました。ガラパゴス島の人類は、ふたたびそこからアダムとイブ聖書物語をはじめ、レオンがその語り手となります。もし、聖書の語り手も、登場人物も脚色なしの普通の人だったらこんな感じになるのかなと思いました。
そこと百万年後の人類が度々比較されます。曰く、どうやら百万年後の人類は、現在最もそれに支配、制約されることの多い脳みそと、両手の機能をほとんど退化させ、海中の生活に適応した形になるそうです。
その当時われわれがいたるところに見聞きしていた悪の根源は、この精巧すぎる神経系をべつにすると、いったいなんだったのだろうか?
わたしの答 - ほかにはどんな根源もない。お化けじみた巨大脳をべつにすれば、この惑星はとても純粋無垢だった。
ぜんぶ、脳みそがそうだとしてることに支配されてます。このわたしは。
レオン・トラウトはまた、脳みそと、そこから生まれるあくなき人類の好奇心について、なるほどなあということをボソボソ言います。
ヴォネガットのいうことってのはほんと、ストンと腑に落ちるんですよね。
これが、わたしにいわせれば、むかしの巨大脳のいちばん悪魔的な側面である。巨大脳はその持ち主におおよそこんなことをいうのだ - 「このばかばかしいアイデアは、たぶん実行できるだろうが、もちろん、われわれはそんなことはしない。ただ、考えるのおもしろいだけだよ」 そしてそのあと、人間はさながらトランス状態で、それを実行することになる - コロセウムの中でふたりの奴隷にどちらかが死ぬまで闘わせたり、その土地で人気のない意見を持った人たちを公共広場で焼き殺したり、人びとを大量に殺すか、都市をまるごとふっとばすだけが目的の工場を作ったり、その他いろいろ。
いつのまにそうなってて、あれ、なんでだっけ?なことありますよね。その時は納得してやった選択も後々で意味が変わったり。
巨大な脳みそがあるからわたしたちは、悩むし、怒るし、ものを作るし、面白いや、気持ちいやいろんな感情を思えます。ヒトのアイデアの創出やものづくりの情熱はもてはやされがちです。もちろん無気力なのが一番人間として辛いので、それに比べたらいいものだと思います。
しかし、わたしはどっちかというとヴォネガットよりで、考えてばっかもアレだからちょっとくだらないことを、人間の感覚として、直感的に分かち合おうぜ、みたいなのをいまは、求めてしまいます。
ほんとに、人間の知的な面での行動原理って、ほんと謎です。タイタンの妖女ででてくる、UWTB(そうなろうとする万有意思)ですね。
巨大な脳みそはいよいよヒトの入れ物では小さくなって、電子の世界へうつりはじめています。全てそっちに入ったら我々人類の脳みそはどこへ行ってしまって、なにが残るんでしょう。
一つ言えるのは結構今の段階でこの脳みそ、使い方が難しくなってきています。